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ドクターズ・ライフ抗加齢医学先駆者 松山 淳 先生 vol.1
2017.11.16
今では一般的となったアンチエイジング。実は20年前に、ひとりの日本人医師がアメリカで触れた「若返り治療」から、わが国の抗加齢医学の進化が始まったのをご存知だろうか。 そして現在も、日本人初のアンチ・エージング・スペシャリストとして様々な分野を超えて活躍するその日本人医師、松山 淳 先生に抗加齢医学との出会いや、一筋縄では済まされなかったというこれまでの険しい道程を伺ってみた。ここからアンチエイジングの今後や、新たなステップを読み解きたい。
♯01 米国の若返り治療からアンチエイジングを知る
十五代になる医科の家系で育ちました
私で十五代目になるのですが、もともと松山医院は会津、福島で開業しました。そして、曽祖父の時代に現在の群馬県前橋市へ分家して以来四代、この地で続いています。
江戸時代から医業を行なっており家訓の“すべての患者を診ること”、“公の福祉に貢献すること”、“自分にとって一番の慣行を作ってそこでナンバーワンになること”の 3つから、曽祖父は外科~産婦人科まですべて診ていました。
しかし、時代の潮流に乗り、祖父の時代で婦人科を、父の時代で外科を診療科目からはずしました。それでも私は統合医療外来、アンチエイジング外来、ED外来、薄毛外来、一般診療、STD外来の6科目を現在も行なっています。
幼い頃から病院内で遊び、周りに常に医師や看護師がいる環境でしたから、自然な成り行きで何ら疑問を抱かずに医師となりました。
でも当時の私は『なんで人間は病気になるのか、病気にならなければいいだろう』と単純に発想していたのです。
だから病気にならないよう、病気にしないようにするために医学を学ぼうと考え、卒業してすぐに勤務先の病院で病理学、つまり「病気の理屈を学ぶ」部門を選びました。
なぜその分野を選んだかと言うと、病理医は脳外科から皮膚科まですべての医師に会い、対応することが仕事ですから、とにかく医療全般への知識が深まる…。そう考えました。
その病理医として医術を学びながら、様々な疾患を知るうちに、次第に「病気にならないようにすることは実に難しいこと」だということに、ようやく気づいたのです。
やがて、病気になることがくい止められないなら、せめて早期発見を目指そうと「診断と検診、予防医学、そしてスポーツ医学」まで次々と学ぶことにして勉学に励みました。
日本で初めてアンチエイジングに触れました
1997年、今から20年ほど前、人間ドックを行なう大手のクリニックで患者として通院されていた韓国の大手酒造メーカーの会長が「アメリカで若返って健康を取り戻す医療を受けて来た」と自慢げに言うのをふと聞きました。
その会長に「騙されているのでは」と話したら、いきなり怒り出して「それなら一緒に見に来い」と拉致されて、パームスプリングスの長寿学研究所で10日から2週間くらい、抗加齢について勉強させられました。
それが“私とアンチエイジングの出会い”です。
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